長時間労働でうつ病を発症した事例
【ケース】
私は、2020年1月から、IT企業であるA社にシステムエンジニアとして勤務しています。新型コロナウイルスの流行に伴ってテレワーク需要が増加したことを受けて、新しいテレワーク支援システムを開発するプロジェクトが立ち上がり、そこに配属されました。そのプロジェクトでは、システムを2020年8月までに完成させる目標が掲げられ、2月から8月までの間、80時間を超える残業を余儀なくされました。その間、上司からは、些細なミスに対して執拗に叱責を受けて、何度も反省文を書かされました。プロジェクトの終了後、仕事に対するやる気が全くなくなり、「もう死んでしまいたい」と度々思うようになりました。精神科を受診したところ、「うつ状態」との診断を受けました。その後、向精神薬の処方を受けながら仕事は何とか続けていましたが、上司から「お前はいつもやる気がないな」などと度々言われるようになって病状が悪化し、10月頃には出勤ができない状況になりました。精神科からは「うつ病」との診断を受け、自宅療養をするように助言されました。 |
【このケースのポイントは?】
1 うつ病を発症した原因は長時間労働にあるかもしれません
長時間労働が続くと、ストレスと睡眠不足によって、うつ病・躁うつ病・統合失調症などの精神疾患を発症してしまうことがあります。このようなケースにおいては、精神疾患が「労災」に該当するとして、労災保険を請求することができるかもしれません。労災保険を請求するための要件や手続について、詳しく解説します。
2 労災認定を受けたうえで勤務先に損害賠償を請求できるかもしれません
精神疾患が「労災」であることが認められて、つまり、労災認定を受けて、労災保険を受給した場合は、さらに、勤務先に対して、損害賠償を請求することができます。勤務先に損害賠償請求をすることができる理由や、具体的な手続について、詳しく解説します。
【詳しい解説はこちら】
1 労災認定を受けられる場合(労災保険を請求することができる場合)とは
精神疾患の労災認定については、「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(平成23年12月26日(令和2年5月29日一部改正))で詳しい基準が決められています。
精神疾患の労災認定は、次のフローチャートに示される流れで判断されます。
厚生労働省「精神障害の労災認定」12頁より
労災認定においては、本人が精神障害を発病する前おおむね6か月間の業務上の心理的負荷、つまり、精神的ストレスのレベルが「強」と評価されなければなりません。
(1) 長時間労働だけで「強」と評価されるケース
例えば、次のようなレベルの長時間労働があれば、精神的ストレスのレベルが「強」と評価される可能性が高いです。
・発病直前の1月におおむね160時間以上の残業
・発病直前の3週間におおむね120時間以上の残業
・発病直前の2か月間連続して1月おおむね120時間以上の残業
・発病直前の3か月間連続して1月おおむね100時間以上の残業
・仕事が以前の倍以上に急増して1月おおむね100時間以上の残業
(2) 長時間労働だけでは「強」と評価されないケース
長時間労働だけでは「強」と評価されないケースであっても、残業が比較的多く、他に精神的ストレスにつながる出来事を経験していた場合には、全体として「強」と評価される可能性があります。
精神的ストレスにつながる出来事の例としては、次のようなものが挙げられます。
・事故や事件について監督責任を問われて事後対応をした
・達成が容易でないノルマを課されてその達成のために業務をした
・新しいプロジェクトなどの担当になった
・業務に関連して顧客からクレームを受けた
・配置転換や転勤があった
・上司・同僚・部下とのトラブル(対立等)があった
事故や事件の対応、ノルマの達成、新しいプロジェクトの担当、クレーム対応、配置転換・転勤は、いずれも長時間労働につながるものです。また、いわゆるブラック企業においては、長時間労働を強いられたうえに、パワーハラスメントなど上司らのトラブルも生じていることがしばしばあります。ですから、単に「何時間働いていたか」ばかりにとらわれるのではなく、「他にストレスにつながる出来事はなかったのか」にも目を向ける必要があります。
厚生労働省「精神障害の労災認定」3頁より
(3) 労災認定のポイント
長時間労働だけで精神的ストレスのレベルを「強」と評価するのが難しくても、他の出来事と一緒に評価することで、全体として精神的ストレスのレベルを「強」であったと評価されることがあります。
まずは、これまで職場で経験した出来事をじっくり考えて、ストレスにつながる出来事をどれくらい経験したかを詳細に検討する必要があります。そのうえで、精神科を受診した際のカルテやTwitter、Facebook、LINE、メールなどの記録、職場の同僚などからの供述など、様々な資料を集めて、これまでの経験を裏づける資料を収集する必要があります。
精神疾患について労災認定を受けられる可能性があるかどうかを判断するためには、労災制度に対する専門的な知識が必要です。まずは、労災問題を取り扱う弁護士に相談してアドバイスを受けることをおすすめします。
2 労災扱いで通院するため(療養補償給付を請求するため)に必要な手続は
労災が認められた場合には、療養補償給付を受けることができ、労災保険指定医療機関であれば、無料で通院をすることができます。
療養補償給付の請求は、「療養補償給付及び複数事業労働者療養給付たる療養の給付請求書 業務災害用・複数業務要因災害用(様式第5号)」という請求書に必要事項を記入して、勤務先から証明を受けた後に、通院したい医療機関に提出することで行います。請求書については、厚生労働省のサイトからも入手することができます。
療養補償給付の請求は、ご自身でも進めることができますが、弁護士にあらかじめ相談することをおすすめします。なぜなら、労災を認められやすくするためには、関係する資料をきちんと用意して、請求書と一緒に提出することが望ましいからです。
特に、労災認定を受けられるかどうかが微妙なケースについては、長時間労働以外に仕事上でストレスを抱える要因はなかったかも重要な判断要素になります。このようなケースの場合、日々の勤務状況について自身や家族が作成した詳細な陳述書を作成して請求書と一緒に提出するなど、ケースに応じた工夫が必要です。
勤務先が残業時間を正確に記録していないケースであれば、ご自身のスケジュール手帳の内容や、通勤で利用した交通系ICカードの履歴などが有力な資料になることがあります。また、自宅で仕事をしていたケースであれば、PCのログオフ履歴(Windowsであればイベントビューワーからイベントログを確認することでログオフ時刻を調べることができます。)や、ご家族の陳述書が有力な資料になることがあります。
3 休職についての労災保険(休業補償給付)を受けるために必要な手続は
精神疾患を発症した場合、長期間にわたって休職を余儀なくされることが通常です。
労災保険には、休業日の4日目から、原則として平均賃金の80%の休業補償給付(厳密には休業特別支給金も合算した金額です)を受けられる制度があります。労災関係の給付には所得税がかかりませんので、これにより、労災前に近い水準での生活が保障されます。
休業補償給付の請求は、「休業補償給付支給請求書 複数事業労働者休業給付支給請求書 業務災害用・複数業務要因災害用(様式第8号)」という請求書に必要事項を記入して、勤務先から証明を受けた後に、労働基準監督署に提出することで行います。請求書については、厚生労働省のサイトからも入手することができます。
ただし、精神疾患の場合、労災認定に長期間を要することが多いため、休業補償給付の請求をしても、なかなか給付を受けられないことが通常です。そのため、健康保険に加入している方であれば、休業補償給付の請求と同時に、傷病手当金の請求も行うことが一般的です。傷病手当金は、労災が認められるかどうかにかかわらず、病気で休職していれば受給することができるためです。
どのように手続を進めていけばよいかについて、まずは弁護士に相談することをおすすめします。
4 勤務先に対して損害賠償請求をするためには
(1) 勤務先に対して損害賠償請求をすることができる理由
勤務先から過重労働を強いられたことで病気になってしまった場合、その責任を勤務先に追及することができる場合があります。なぜなら、勤務先は、労働者に対して、安全配慮義務や健康配慮義務を負っているからです。
労災保険では、基本的に、労災によって発生した損害の一部しか補てんされません。そのため、労災によって補てんされなかった分は、勤務先に対して損害賠償を請求することができます。
勤務先に対して請求することができる損害の項目は、例えば、次のようなものがあります。
ア 休業損害
労災が原因で休業を余儀なくされた場合、その期間の休業損害を請求することができます。たとえ休業補償給付を受けていても、それによって補てんされる休業損害は平均賃金の60%(残り20%は特別支給金という労働者救済の観点から特別に支給されるもので、休業損害を補てんするものとは扱われません)ですから、休業損害の40%の部分については、勤務先に別途請求することができます。
イ 入通院慰謝料
入通院期間の長さなどに応じて、慰謝料が認められます。会社側の悪質性によっては、慰謝料の増額が認められる余地があります。
(2) 勤務先に対して損害賠償請求をするタイミングは
損害賠償請求を勤務先に対してするタイミングは、ケースバイケースです。
例えば、納得のいく労災認定や障害等級認定を受けられる見通しが立っていないにもかかわらず、いきなり請求に着手してしまうと、場合によっては、勤務先が「証拠隠し」に走ってしまうかもしれません。労災認定や障害等級認定の見通しをきちんと立てたうえで、もし勤務先が「証拠隠し」に走るおそれがあるのであれば、必要に応じて証拠保全を検討するのが、賢明な選択です。正確な見極めは難しいですが、少なくとも、「これから事件がどのように進むか」をきちんと考えずにやみくもに請求に着手することは、避けるべきです。
一方で、迅速に交渉を進めるために、労災認定や障害等級認定を受けられる見通しが十分に立っていなくても、すぐに請求に着手すべき場合もあります。それは、勤務先に、早期解決に向けて積極的に話合いに応じる姿勢が見られる場合です。長時間労働による労災事件の場合、勤務先にとってむやみに事を荒立てるのは、決してよいことではありません。ですから、勤務先が早期解決に向けて積極的に話合いに応じることは、決して珍しいことではありません。このような場合には、勤務先との交渉を早くスタートすることが望ましいでしょう。
たとえ勤務先に話合いに応じる姿勢があったとしても、弁護士などの専門家には必ず相談すべきです。なぜなら、勤務先は弁護士に相談したうえで交渉に臨むケースが多いことから、労働者側もきちんと専門家の意見を聴かなければ、なかなか対等な話合いができないからです。
(3) まずは弁護士に相談を
勤務先に対する損害賠償請求には、様々な法的知識とノウハウが求められます。まずは、労災保険の手続の進め方とともに、損害賠償についても弁護士に相談しておくことをおすすめします。
6 労災の問題は当事務所にご相談ください
当事務所では、社会保険労務士とのダブルライセンスを持つ弁護士が、法的知識とノウハウを踏まえて労災問題のご相談を承っています。初回相談(60分)は無料ですので、まずは、お気軽にご相談ください。